much はたくさんという意味で、数えられない物に使う、と習いましたね。 much time, money, などです。
We have much time で、我々には時間が十分ある、と言う
意味になるか、ということです。
意味は通じますが、不自然。
We have a lot of time のほうがずっと良いです。
We don't have much time と否定なら、
自然な響きになります。
辞書には前から書いてありますし、
最近では教えている中学校もあるようです。
以前は学校で教えなかったので、
英語がかなり出来る人でも知らない人が多いようです。
had better は、~したほうが良い、と習いましたね。
しかし、軽いアドバイスというニュアンスではなく、かなり 上から目線の命令、強制、の語感があります。
~した方が良いよ、と言いたければ should が安全です。
Please をつければ、丁寧な表現になる、と 中学一年の命令形の所で習いましたね。 ですから、please をつけると、目上の人や、 初めて会う人にも、丁寧な表現になると思っていませんか?
ところがいつもそうとは限りません。
先生が学生に、Sit down, please と言うと、
どうぞ座ってくださいではなく、着席、という命令です。
まあ please をつけると、「座れ!」という語調は避けられますが、
あくまで命令です。
ただ、これも声の調子、表情、文末を上げるか、下げるか、など、 書面では説明しにくい要素があります。
「おかけになってください」なら、Please have a seat が良いです。
ミルクってなに、と聞かれたら、 牛乳、と答える人がほとんどだろうと思います。 日本に住んでいる限り、それは正しい答えです。 ミルクと牛乳は同義で使われています。 なんの問題もありません。
アメリカでも、私の知る限り、milk は牛乳とほぼ同義で使われています。 しかし、英語で、milk と言うと、正確には、牛乳ではありません。 牛乳なら正式には、cow's milk です。 Milk とは、哺乳動物の雌が乳腺から分泌する、 子どもに飲ませるための液体です。
ですから、象も、ブタも、ネズミも、ライオンもミルクを出します。 山羊の乳は、goat's milk で、母乳は breast milk, あるいは mother's milk です。英語を使うに当たっての 大問題ではありませんけれどね。
More than two people は3人以上です。 Two は 含まれないのです。 辞書には書いてありますが、日本語と同じ感覚で 使っている場合が多いのです。
しかしおおざっぱに言って問題ない場合は、文字通り訳します。 More than two hours. 2時間以上。厳密には、2時間1秒以上ですが、 そこまで厳密に言う必要がないからです。
ダメです。See はふつう、進行形にはできません。
Look は、意識を持って、視線を、 見たい物体のほうに向けることです。 See は、自分の意志にかかわらず、 目が悪くなければ、自然に視界に入ってくることです。
それでは、なぜ see には進行形が使えないのでしょうか。
それは、進行形というのは、
自分の意志で始めたり終わったりできる動詞がほとんどだからです。
Jump, eat, read, など、動作を表す動詞は、自分の意志ですぐに始め、
止められます。
しかし、know remember need like などの動詞は、 自由意志でどうにもなりません。 好きなことを好きになるのを止めるとか、 できないので進行形にはしません。
しかし、説明できない例外もあります。 laugh, cry など進行形がありますが、 意志力だけで、笑うのをこらえたり、 泣くのを止めたりはできません。 自然現象の rain, snow, なども進行形がありますが、 人間の意志ではどうにもならないことです。
See が進行形で使われる時は、
ただ、見る、という意味ではなく、別の意味になります。
Ken is seeing someone. は、
Ken is meeting someone とは違います。
Meeting のほうは、誰かと約束をして、あるいは
久しぶりに会っている、ということです。
Seeing になると、その誰かは異性で、 正式な関係ではなく、隠れて会う必要のある人です。 すなわち不倫関係の場合が多いのです。 妻が、夫に Are you seeing someone? と聞くと、 それは「あなた女の人がいるのね」という意味です。 この意味では、ほぼ進行形でしか使いません。
My house is standing on the hill は 不自然です。
私の家は丘の上にたっている、の「たっている」というところを 現在進行形ととらえたからできた英語ですね。 文法に問題はないように見えますが、 正しくは、My house stands on the hill. です。 家が建っているのは、今日も昨日も明日も ずっと続く状態だからです。
英語の現在進行形というのは、ある行動、動作を、 今している、という意味です。 家は今だけたっているのではないので不自然なのです。
同じく、Jane は数学を教えている、という一見、
進行形に見える文章も、職業の場合
Jane is teaching math という進行形ではなく、
Jane teaches と現在形にします。
理由は同じく、Jane は今この瞬間だけ教えているのではなく、
教えるのが仕事だからです。
ただ、この場合も、今の瞬間の事だけを伝えたいなら、
進行形は可能です。
普段は数学を教えているが、今だけ、弟に科学を教えているなら、
Jane is a math teacher,
but now she is teaching her brother science.
という文が自然に使えます。
いえ、場合に寄っては自然な表現になります。
例えば、大型台風、ハリケーン、竜巻などで、
近所に甚大な被害が出て、
回りの建物はことごとく破壊された。
しかし、私の家はまだ丘の上に立っている、
と言う場合です。
こんな時は、My house is still standing on the hill. が適切です。
進行形にしているのは、あやうい状態なので、明日も立っているという
保証はない。しかし、今の時点では確かに立っているからです。
イギリスは1066年、ノルマン人に制服され、 その支配は200年続いた。 ノルマン人はフランス語を話した。
だから200年の統治期間、都市ではフランス語が使われた。 英語を話すイギリス人は、田舎に追いやられ、英語を話し続けたのです。 牛やブタは田舎で飼育されており、英語で cow, pig と呼ばれていたのですが、 肉になって、都市のテーブルにのると、フランス人が食べるので、 ブタを porc、牛を boeuf とフランス語で言っていたのです。 それが、英語の発音と綴りになったというわけです。
戒名ではないので、誤解の無いように。笑