M子はおしゃべりで、明るい性格だった。 一見利発そうだったが、勉強はできなかった。 特に算数がぜんぜんできなかった。 当時、この学校では、算数ができない、イコール、バカという烙印だった。 小学校3年生くらいまでは、まあなんとかなったが、それ以降つまづいた。 中学で方程式、放物線が出てきて、数学落ちこぼれは決定的になった。 そのほかの勉強もほとんどダメだった。
しかし、人並みに何かできるようになりたいと、英語に望みをかけた。 唯一、中学から全員が足並みをそろえて始められる科目だったからだ。 最初は、苦労したが、家でひとり発音練習に励んだ。 英語の教員は厳しい人で、なかなか褒めてくれなかったが、 M子が音読すると必ず very good と言った。 これが快感となり、ますます英語の音読に励んだ。 綴りやそのほかのことも勉強したが、最初の通知簿は3だった。 しかし、他の教科に望みはなかったので、時間を全て英語につぎ込み、 中学3年頃から頭角を現した。 直接テストに関係のない領域も、点数のためではなく、積極的に学んだ。
アメリカの高校に留学し、卒業したあとは、 もう英語一筋の人生だった。 英語なしではM子の人生はありえなかった。
S子は、軽い障害があった。一応普通の学校に通っているが、 勉強はさっぱりできなかった。 しかし、姉が良くできるので、 いつも勉強が良くできるということにあこがれていた。
中学で英語が入ってきた時も、ぜんぜんついて行けなかった。 勉強しなければ0点を取ってしまう。 塾に入れたが、 雰囲気も合わず、嫌がった。講師も理解のある人ではなかった。
一つの救いは、親に理解があったことだ。 成績のことでS子を責めることはなかった。 そのころ、適切な指導者が見つかり、独自の教材を使って教え始めた。 だんだん平均点近く点が取れるようになり、 ついに平均点を10点上回った。 生まれて初めて、通知表に「4」がついた。
世間一般のレベルから言って、「英語が得意」とはいえないが、 S子にとっての、 今年最高の出来事だった。やればできるという手ごたえを感じた。
K男は、ある日友達と近くの山に登った。 途中で外国人のグループとすれ違い、英語で簡単なあいさつをした。 その時の英語が通じたという経験があまりにも嬉しくて、忘れられず、すっかり英語にのめりこんでしまった。
今は大学で英語を教えている。(これほど簡単に行けば苦労はないが……実話である)
英語は、はじめから苦手科目だった。 英語さえなければどれほど楽か、と思っていた。 しかし受験では避けて通れない。 イヤイヤ塾に通うことになった。 退屈で、きらいだった文法はうんざりした。 ところが、しばらくすると、英文が読めるようになってきた。 いままで苦痛だったのが、だんだん楽になってきた。 ルールがわかると、文章がすっきり頭に入るようになった。 興味のあるスポーツニュースを英語で読めるようになりたいと思うようになっていた。
Wさんは、戦中派で、ミッションスクールに通っていたが、 英語の勉強は中途半端になった。 しかし、いつも興味があって、勉強したいと思っていた。
娘は結婚して別所帯だったが、英語が得意だった。 ある日、見知らぬ外人から電話がかかった。 よく分からないが、どうも娘の知り合いらしい。 もう結婚してここにはいない、と英語では言えなかったが、 とっさに娘の電話番号を英語で繰り返した。 相手は、OK. Thank you. と電話を切った。 後に娘から電話があり、昔の知り合いが偶然日本に来ていて、 お母さんの機転の利いた英語のおかげで再会することができた、と喜んで報告してきた。
数日後、買い物に行った。外国人が肉屋の前で何か言っている。若い店員は英語が分からずポカンとしている。
横に立って聞いてみると、肉を指差し、three hundred と言っているようだ。
300ならグラムに決まっている。
そこで、「外人さんが、この肉 300g 欲しいって」と店員に伝えた。
外国人は Oh, Thank you. Thank you very much. と感激し、
店員は「尊敬のまなざし」を送ってきた。
Wさんは、娘に電話をし、自分もきちんと英語を勉強したいと伝えた。 3数年経った今、Wさんは元気に海外旅行に出かけていく。 もちろん簡単な意思疎通は英語でできる。 もう単語を並べるだけじゃない。ちゃんと文章も読めるし、言えるのだ。 簡単な内容なら、伝言だって英語で書ける。 海外旅行は何倍も楽しくなった。
B子は進学学校の中2。英語はそこそこできたが、 トップクラスというわけではなかった。 平均点より10点ほど上だった。
母親はこれに満足できず、塾に通わせるようになった。 家では、通信教育を、学校でも課題は山盛り、 その上塾だから、量が多い。いつも消化不良で、作業が荒く、 速くやって早く終わることばかり考えている。 不注意なミスが多く、点数のことばかり考えているから、 本人もストレスばかりで、面白くない。
学校も親も、点数と偏差値にしか興味がないので、仕方のないことかも知れない。
S男は帰国生だった。 小学校2年で渡米し中学1年で帰国した。
アメリカでは日本語学校と、現地の学校のダブルスクールだった。 何とか英語を伸ばしたいと、両親は熱心だ。
しかし、本人は「重荷だ」と思っているのがわかった。
小学生での渡米は、想像以上にストレスのかかるものだったに違いない。
親も自分の生活で精一杯。なかなか子どもの気持ちを思いやる余裕はなかったのだろう。
帰国すると、「英語はできるはず」という目でみられる。
ところが、学校のテストでは100点は取れない。ましてや、一番でもない。
スペリングも怪しいし、英作文はだいたい出来るが、学校の基準に沿わないと点数が伸びない。
自己嫌悪とストレスにさらされてしまった。
Nさんは二人姉妹だった。両親は勉強のできる姉ばかりひいきして、 妹のNさんはいつも不満だった。
ある日、勉強のことで親とけんかになり、Nさんは一大決心をした。 軒並みダメな勉強の中で、唯一望みがありそうな、英語で身を立て、親から独立しようと。 それからは、親の態度などまったく気にならなくなり、一心不乱に英語にのめりこんだ。
成績は上がり、留学のチャンスも手にいれた。 奨学金なので、親からの援助もほとんど必要ない。
音楽の好きなK君は、小さい時から、歌詞カードを頼りに、さまざまな外国の歌を歌った。 英語はもとより、ロシア民謡、カンツォーネ、シャンソンと幅広く、CDを聞きながらまねた。 中学で英語の授業を受けた時、クラスのみんなより発音が楽にできるのを実感した。 読めることは語学上達のまず最初の条件なのだが、そんな理論は知らなかった。
とにかく、読むのが得意で、英語の授業は楽しみだった。
Rさんは、中学1年。お母さんと一緒にやってきた。 お母さんの話によると、小学校の間に英検3級に合格し、 英語はまあ得意、好きだと思う、ということだった。 今は、クラスのみんなより英語の「貯金」があるから、 この「貯金」をもっと増やしたい。 ぜひ、「大得意科目」にさせたい、という希望だった。
ところが勉強を始めてみると、まったくやる気がない。 宿題はやってこない、授業中はほとんど寝ている。 スピードは遅いし、字はきたない。 忘れ物は多いし、理解度も高いとは言えない。
あの手、この手でしばらくやってみたが、 ついに残念だったが、お手上げ。 母親と話をしてみると、幼児の頃から、英語ばかりやらせてきたことがわかった。 もう本人はうんざりしていたのだろう。 中学から「英語やるぞ!!」と意気込んでいる生徒とは反対に、 すっかり英語嫌いになってしまっていた。
S男は進学校の中学1年生。家から学校までが遠く、運動クラブにも入っている。 受験勉強に耐え、合格したのだから、そこそこ理解力はあるが、英語の勉強の仕方が分からない。 自分でも何とかしないとまずいと思っている。
両親がかなり厳しく、家で勉強を見ている。 自分の子どもに対してはイライラするらしく、子どもに辛く当たる。 成績は確かに良くないが、まだまだ中学1年生。
英語に初めて触れて、数ヶ月しか経っていない。 それなのに、回りから「不得意コール」が毎日襲う。 これでは、気持ちも沈むし、やる気も萎える。 せっかく本人は気を取り直してやろうと思っているのに、上からどんどんつぶしていく。
伸びる可能性を摘み取らないであげてほしい。
N子は、日本生まれ、日本育ちだが、中学、高校、大学と帰国子女に間違われた。 それは、小さい頃から本物の発音を母親(日本人)が教えていたからだ。 あせることなく、しかることなく、赤ん坊や幼児に日本語を教えるのと同じ方法で、英語の音を教えた。 ネイティブの子どもが学ぶように、年数が経つにつれ、片言英語から本物の発音になった。 なんのストレスもなく、自然に何でも発音できるN子が英語を嫌うわけがなかった。 単語、熟語をおぼえたり、文法を勉強したり、日本語訳をしたり、他のことは全て普通に勉強した。
今でも時々母親とは英語で会話をする。 電話も英語でかける時がある。 母親からのメールはしょっちゅう英語で来る。 それほど自然に覚えたのだ。
もちろん特殊な例ではあるが、ストレスを感じさせないことがコツなのだ。 本物の帰国生でも英語嫌いになった例「帰国生という重荷」はストレスを与えてしまったのがまずかった。 親子関係にも問題があったのかも知れない。
これは妨げ、これは助け、と明確な答えがないのが実情です。
一般的に言えるのは、導入期によい指導者とめぐり合うことは大事です。 ただ、これは選べない場合もありますから、不可抗力です。 選べる場合は、かならず、相性を確かめるのが賢いでしょう。 ネイティブだから良いともいえないし、経験豊かだから良いともいえません。 あくまで個人レベルで判断してください。
厳しくしてもへこたれない子もいますし、めげる子もあります。 優しくするほうが伸びる子もいる反面、なめる子もいますので、さまざまです。 一つ確実に言えることは、適切に褒めることは大事だということです。 この「適切」というのがむずかしいところで、褒め殺せばいいものではありません。 そういう「さじ加減」が上手な人に指導してもらうことです。
しかし、運悪く、指導者との相性が悪かったと仮定しましょう。 そんな時こそ、親の出番です。 「へ~、難しいことやってるんだね」 「おとうさんが、中学生の頃は、その代名詞が分からなくて苦労したなあ」 など、共感を持たせるような、コメントをすることです。 間違っても、「ひどい発音だなー」「こんなことも分からないのか」なんて言わないでください。 希望を持たせる、気分を良くさせる、これがコツです。
小さい頃に、家でできることは、いろいろあります。本の読み聞かせ、早口言葉遊び、ものまね、映画の一シーンの真似。 これらは、一家で楽しめますし、舌の動きを良くする訓練になります。 物まねのうまい子は、発音が上手です。 発音も最初は物まねです。
このページを読んでいる皆さんは、必要だと思うから読んでおられるのだと思います。
しかし、全国民に必要かと言われれば、答えは「否」です。 受験だって、英語のない形もあります。 ですから、自分に必要ない、と判断すれば、やらないのも個人の選択です。 ただ、英語を知っていて損することはありません。 ですから、すごくいやでなければ、ちょっと努力してできるようになったほうが良いに違いありません。 ものすごく苦痛なら、避けて通るという選択もありです。
しかし、インターネットを英語が支配している現実や、 企業が英語を使ってグローバルな展開をしていることを考えると、 やはり英語を身につけると便利であることは否定できません。
親子関係は良いに越したことはありません。 関係が良いと、アドバイスも素直に聞きますし、批判してもひねくれることがありません。 指導者と親の連絡がよく取れて、勉強はスムーズに進みます。 平和なら良いかといわれれば、そうともいえないのが現実です。
このページの「わたしも認められたい」を読んでください。 親に対する反抗心、独立心が、バネになった例でしょう。
しかし、本心はどうか分かりません。 こういう形で、やっぱり親に認めて欲しかったのかも知れません。 本人でなければ分からない心の内です。
これは、深い関係があります。
単に耳が良くなるだけではなく、音楽に親しむと、 脳の働きそのものが外国語を勉強する下地を造ります。 音符を見て、それを楽器なり、歌なりに「変換」するわけですね。 この過程は、外国語から母国語に「変換」するのと同じ脳回路を使います。 ですから、初見で歌える、弾ける人は、外国語の素地があると言えます。
ただ、それほど単純なことではないので、 「音楽ができるから、できないから」と早合点しないでください。 段階を追って、努力できるかどうかが大事ですし、熱意も必要です。 ドラムなら何時間でもたたくが、 英語の単語を覚えるのはどうも……では得意にするのはむずかしいです。
あこがれることです。 大谷選手が、あこがれることは止めましょう、と言ったのが有名になっていますが、これとはちょっと話が違います。 どんな単純で、バカみたいな理由でもいいのです。 その動機にケチをつけてはいけません。
英語を話せるのはカッコいい。(そんな単純なものではありませんが、いいのです) 海外旅行がしたい。(英語がしゃべれなくても旅行する人もありますが、いいのです) 外国人を観光案内してみたい。(難しい、と否定してはいけません) 俳優の**が好きだ。ファンメールを出したい。(チャラチャラしてる、だなんて言ってはいけません)
音が好き、国が好き、文化が好き、人が好き、なんでも良いですから好きなことを見つけることです。 嫌いな国の言葉を勉強するのは難しいですね。 歴史を振り返ると、植民地にされて、支配国の言葉を無理やり勉強させられた人達もたくさんいました。 しかし、当時であっても、その言葉を勉強すると良いことがある、と信じていた人達がたくさんいたのです。 嫌悪だけでは、成り立ちません。
なんらかのきっかけで英語に興味を持ったら、読めるようにすることです。
カタカナに偏見を持ってはいけません。 最初は上手な発音でなくても大丈夫です。
ただし、もし習うなら、発音は、生身の人から習ったほうが良いです。
オンラインだけでは、少々不自然になりますが、止むを得ない場合は仕方ありません。
音声教材は、英語に偏らず、色々な外国語を聞くのがいいのです。 イタリア映画や、フランス映画を、字幕で見ます。 こんな不思議な音があるんだ、という新たな発見や感激が、語学への興味を深めます。 テレビの外国語講座を聞くのもいいです。
そんな時間はない? まあ、そうかも知れませんが、日本語に無い音を認識する良い方法の一つです。
簡単なことから始めることです。
出来る、という快感を味わい、脳を喜ばせることが大事です。 脳は、喜ばせると、また喜びたくなるようで、同じ事を繰り返しすることを要求します。 いわゆる快楽ホルモンを英語の勉強で出すのです。
簡単なことをするのは一見無駄のように思えますが、そんなことはありません。 難しいことに挑戦しすぎると、挫折感ばかりでいやになってしまいます。 いつまでも簡単な事ばかりで満足していては困りますが、簡単なことをするのは効果があります。 そうしているうちに、もっと上を目指したくなるのです。
視覚教材を工夫すると、短時間で興味を引き出せる時があります。 ただ、万能薬ではないので、過信しないでください。
例えば、犬の好きな子どもに、犬の写真を見せると、じっと見ます。 その犬が、何をしているのか、なぜ、その場所にいるのかなどが、 横に英語で書いてあれば読んでみたいと思うでしょう。 視覚教材は、できるだけ面白そうで、何をしているのか 知りたいと思わせる内容を探すことです。
学校の教科書だけで、精一杯の場合は、難しいのですが、 興味のある分野の英文を見せたり、読ませたりするのは効果があります。 英文を読む習慣が身に付くと、勉強が面倒だと思わなくなります。 もともと読むことに興味がない人は、まずそこから始めなければなりません。
アニメが好きなら、英語のアニメでももちろんいいです。 しかし「アニメを見て、英語を勉強する」といった単純なものではないので、誤解のないように。 漫画は、初心者にはたいてい難しすぎるので、それだけを教材にするのは無理があります。
以下の習慣は直したほうがいいです。