最近の話題から

1才を過ぎたら英語の音は習得しにくくなるってほんと?

最近の研究で、以下の発表があったそうです。 生まれたての赤ん坊は全て語学の天才。 どんな言語の音も取り入れる能力がある。 しかし、1年間、日本語ばかりで話しかけると、日本語の音しかきけなくなる。 ところが、正しい英語の音を交えて話しかけると英語独特の音も聞き取れるようになる。 例えば、R と L の音は日本語にはないので、この時期が大事、というわけ。

でも、本当なの?
こんなことが100%本当なら、日本人の英語学習者の未来は、ほぼ絶望的。 さて、これはあくまで興味深い研究の一つで、真実の一部だとしか言えません。 全人に当てはまることはありません。 私の個人的経験で恐縮ですが、以下の話をお読みください。

自己紹介の頁にも書きましたが、私は幼児英語、小学校英語とは縁がなく、中学1年生から英語を学び始めました。 中学1年の一学期の最初に、先生の発音を聞いただけで、即座に R と L を完璧に聞き分けることができました。 B と V, th と s, などその他の音の違いもです。
まだ中1ですから、そんな細かい音の違いをいちいち説明されたかどうかはわかりません。 クラスメートが先生の発音をまねて音読する時、「その R はちがう」「L はそんな音じゃない」 「そこは S じゃなくて Th なのに……」と心の中で思っていました。 教室で先生の発音なさった音を覚えて帰り、家で一人で練習する日が続きました。
耳だけが頼りです。
納得のいく音が出るまで繰り返す。

ある日、教室で音読が当たり、皆の前で発音を褒められました。 発音にはとても厳しく、滅多に褒めてくれない先生に、very good と言わせた快感を今も忘れません。 私の耳は信頼できる、と自信を持ちましたが、赤ん坊の頃に英語を聞いた経験はありません。 特別な例でしょう、という声が聞こえそうな気もします。 そうかも知れません。耳が良かったのは確かです。 しかし、少し耳が良ければ、なにも赤ん坊の頃から英語にさらされていなくても、英語の音は身につきます。

大学に入って初めて、フランス語を1年だけ習いました。 難しいと言われているフランス語の発音も、すぐに出来るようになり、かなり得意でした。 パリの地下鉄で切符を買っていると、パリ在住の日本人と間違えられ、道を聞かれたことがあります。 フランス語などとてもまともには話せないので、しどろもどろで、「わからない」と言った覚えがあります。

極端に音が聞き分けにくい人は発音、リスニングはいつ始めても多少の苦労はつきまとうでしょう。 それは赤ん坊の時に初めてもたぶん同じだろうと思います。 赤ちゃんの時は、英語の発音より、他にもっと大事なことがあるはずです。

RとLのリスニングや発音も正しくできるに越したことはありませんが、 英語はそれが全てではありません。 RとLができなければ、もう英語じゃないというような極端な印象を与えることは間違っています。 発音の練習は大事ですが、必要以上にそれに捕らわれることは止めましょう。 某国では、R と L を言易くするために、舌の手術をする人があるらしいですが、愚の骨頂です。

また「語学の臨界期」、などという言葉が一人歩きし、何歳を過ぎるとネイティブの発音は学べない、 という発表がよくあります。 そういう傾向があるのは完全否定できませんが、それが全てであるわけがない。 前にも言いましたが、そんな事があるなら、ほとんどの英語学習者の未来は真っ暗。 「臨界期」とやらを過ぎても正しい英語の発音を習得した人達はたくさんいます。

二カ国語の勉強は脳に良い

外国語を勉強した人と、していない人では、 アルツハイマーの発症年齢と進行度に差がある、という報告がある。 2国語を操ることは、脳のいろいろな部分を刺激するので、脳には良いのは当然です。 同時通訳とか、ハイレベルな内容でなくても、よい効果が期待できます。 またある程度年齢がすすんでから学び初めても効果があるのが分かっています。 しかしこれも、よく考えれば当たり前のことです。 計算や、クイズ、日記をつけること、チェス、将棋、その他「頭の体操」といわれることは全て脳に良い。 外国語の勉強もその一つです。

しかし、2014年11月12日付けのタイム誌に、 「数独なんかやめて、フランス語にでも挑戦しなさい」という見出しの記事がありました。 外国語に取り組むことは、無限のプラス作用があるようです。

大学入試にTOEFLを

文科省は、何をいきなり言い出すのか。

英語教育改革に口を出してきたうちの一人に、某グローバル企業の社長もいたらしいですが、 いくら現場の声とは言え、英語教育の素人が言ったことを大げさに取り上げないで欲しいです。 高校卒業時に TOEFL 45点、すなわち、英検準2級レベル……ということらしいですが、 そもそも英検とTOEFLは、全く内容の違うテストですから、 単純比較はできないのです。 今までセンター試験や、大学入試に向けてやってきた中学、高校の英語教育を、 アメリカの大学に進むための TOEFL で計ることはできません。

英検と比べるのは、そもそも無理がありますが、無理矢理比較すると、 TOEFL 高得点は、は英検一級以上の難度です。 日本の高校生の平均的実力はせいぜい英検準2級程度です。 それも、このレベルに達しているのは2割ほどです。

また、中高では、だれが TOEFL 指導をするのでしょうか。 TOEFL, iBT はスピーキングもあります。 英語を話すのが得意な教員ばかりではないのに、どうやって TOEFL レベルのスピーキングを指導するのですか。 英語教員の目標が英検準一級合格で、その取得率を知っていますか?

英検準1級、教員には高いハードル 文科省調査

これは2015年5月の日本経済新聞の記事です。 一部抜粋すると、

全国の公立中学・高校の英語教員のうち、英検準1級以上かそれに相当する資格を取得しているのは 中学で28.8%、高校で55.4%だったことが、文部科学省の2014年度英語教育調査で分かった。
ということです。 高校で TOEFL 指導は、今の所、難しいと思われます。 それに、大事なことですが、TOEFL で高得点を取れる人が、よい英語教員であるとは限りません。

日本の英語教育の目的は TOEFL で高得点を取らせることではありませんでした。 きちんと基礎を習得すれば、それを土台に積み上げることができるのです。 誰もが必要な時に、英語力をつける基本をしっかり教えてくれているのです。 中学英語の完全習得、復習こそが、使える英語の基礎です。 日本の中高の英語教育は、それなりの役割を果たしています。

英語関係、識者の一人である、鳥飼久美子氏(同時通訳、立教大学教授)を含む、 多くの英語専門家が「入試に TOEFL 利用」には反対しています。 しかし一部の大学や大学院では TOEFL をすでに課しているので、避けて通るのは難しいかも知れません。

発音をカタカナで書いてはいけない。

英語をカタカナ読みするから通じないんだ。 英語にカタカナを使ってはいけない。 よく聞く台詞です。
真実もある程度含んでいます。 ミカンはオレンジとカタカナ読みでは通じず、アーリンジ、のように発音します。

しかし,、本当にカタカナ表記は悪いことばかりなのでしょうか。 もしそうなら、最近のカタカナ表記を使っている辞書は悪いのでしょうか。 発音記号を習わない学生もたくさんいる中、カタカナなしで、英語の読み方はどうやって覚えたらいいのでしょうか。

例えば、run はルンではなく、ランです。
しかし put はパットではなく、プットです。
こういうことをカタカナでメモするのは便利だし、何も悪影響はありません。
ただ、run の過去形 ran も、カタカナならランです。
しかし、英語の発音は異なります。 ここは、カタカナでは表せない所です。 そのために発音記号があるわけです。

しかし、発音記号なしで、取りあえず読めるようにするには、カタカナにちょっと工夫をして、 使うのが便利でしょう。 ranは、ランとかくのではなく、リャ~ンの様に書くこともできます。 同じようにランと書いても、発音が違うことを聞いて学ぶこともできます。

以下、出来るだけ英語の発音に近いカタカナです。

go ゴウ(ゴーではない)
running ラニン (ランニングではない)
cotton カタン (コットンではない)
glove グラブ (グローブではない)
tunnel タナル (トンネルではない)

外国語を勉強する上で、とりあえず発音できる、というのは大事なことです。 もちろん正しい発音を習得することは大切ですが、カタカナ全否定には賛成出来ません。 上手に利用することです。

カタカナは、どんな外来語もいち早く日本語に取り入れられるという、大きな役割を果たしています。 英語教育から単に排除しようとするなど、愚の骨頂です。 カタカナのおかげで、日本語は豊かになっていることを忘れてはいけません。

英語が話せないのは恥ずかしい?

某英語教材のコマーシャルに、「ぼくは恥ずかしいほど英語がしゃべれませんでした」というセリフがありました。 ここで、疑問に思ったのは、日本人が英語をしゃべれなくて、なぜ恥ずかしいのか、ということです。 そんなことがあるわけがない。

例えば、もう20年もアメリカに住んでいるのに、家族と英語で話が出来ないなら、少しは恥ずかしいかも知れません。 しかし平均的日本人が、英語がしゃべれなくても何も恥ずかしいことはありません。

特殊な例ではありますが、スポーツ選手や著名な科学者で、英語以外に特技や技術、「売り」がある場合、 英語を話す必要性は低くなります。なぜなら、回りの人がその技術を評価するからです。 有名野球選手は通訳を使っていますが、英語が話せなくても恥ずかしいとは思っていないはずです。 「話せないのは恥ずかしい」という意識を持たせる、また持つこと自体が問題なのです。

英語が話せるようになりたい。
しかし、なかなか思うように行かない。
いらいらするときもある。
だから努力する。
少しずつ上達してきた。
でもいつまでもリスニングは難しい。
時々挫折しそうになる。
しかし、恥ずかしい、ということはないはずです。 あってはならないのです。 少しくらい間違っていても、流ちょうに話せなくても、 聞き取れなくても、「恥ずかしい」という意識を持たないようにすることです。

これは簡単なことではありません。 なぜなら、このセリフにあるように、そういう考えが氾濫しているからです。 でもこれは間違っています。
とはいえ、私も間違うと恥ずかしいです。
それは英語を仕事にしているからです。
でも間違います。

少なくとも、英語を今学んでいる人に、特に初心者に、 間違い=恥、という考えを持たせないようにするのが指導者の仕事の一つです。 日本は恥の文化だ、と言われているので、何でも簡単に恥だと思ってしまうのかも知れませんね。

中学受験に英語が……

中学受験に英語を取り入れたという中学校が出始めました。 以下、2014年11月22日付けの日本経済新聞からの抜粋です。

東京都市大学付属中学校(東京・世田谷)は来年2月に実施する 2015年度の入試から、英語、算数、作文の3科目で合否を決める「グローバル入試」を導入する。 通常の入試とは別に一定の枠を設けて「英語が得意な受験生に機会を与える」。 英検準2~2級のレベルを出題するとしている。
国語・算数・英語から2科目を選択するという入試を15年度から採用するのは桐蔭学園(横浜市)。 算数が苦手でも、国語・英語という大学入試の「文系型」のような受験が可能になる。

神田女学園(東京・千代田)は英語の配点が国語・算数の倍という入試枠を15年度から設定する。

白梅学園清修中高一貫部(東京都小平市)は英語と面接のみで選抜する方式を実施している。

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さて、このような傾向をどう捕らえるべきでしょうか。 様々な意見があるとは思います。
英語圏で暮らした経験があり、それを伸ばし、活かしたい、という人にとっては、 特技と個性が伸ばせる選択が増えます。
しかし、英語を得意科目にしたい、という望みだけで、 膨大なエネルギーを英語だけにつぎ込むのなら問題かもしれません。 それは、母国語で物事を深く理解し、考え、学ぶということがおろそかになるからです。

日本の高い教育水準は母国語で学ぶという特権に支えられています。 ロシア、ドイツ、フランスをはじめとする諸外国の文学作品の読破、 医学や科学を、翻訳のおかげで、深く理解し、高い技術に磨き上げた日本人の技術と才能は、 母国語、日本語の力に負うところが大きいのです。

いくら英語が出来ても、頭の中が充実していなければ、 平均以下のネイティブスピーカーの足下にも及ばない存在になってしまいます。 日常英会話が中途半端に上手な日本人が増えても、将来たいしたプラスにはなりません。

日本の将来を担う、技術や頭脳は、 母国語で考える力を学ばない限り高いレベルで育ちません。

戦後、奇跡的な経済発展を遂げ、高度成長期を支えたビジネスマンの英語が それほど高いレベルだったとは思えません。 しかし彼らは海外で立派に仕事をし、GNP で当時世界一だったアメリカを 抜くまでに日本を成長させたのです。
これは英語の力ではなく、日本人の頭脳、技術、勤勉さのたまものです。

「英語は道具だ」とよく言われます。
しかしその道具を使って発信できる「中身」のほうが何百倍も大事なのです。 この辺りをもう一度よく考えて、英語の位置を考え直すことが必要だと思います。 闇雲に英語の時間を増やすことばかり考えるのは、よい傾向とは言えないと思います。

側坐核とは(やる気の秘密)

やる気が出ない。どうやったらやる気が出るのか。
本人も家族もそれが知りたい。
簡単です。イヤでも、やる気がなくても、取りあえず行動するのです。
イヤでも本を開く。
イヤでも塾に行く。
イヤでも音読する。
イヤでも問題をやってみる。 脳の側坐核と言う部分が活発になるとやる気が出ます。
側坐核は、待っていても活発になりません。
行動すると活発になって、ドーパミンというホルモンを出します。
するとやる気が出てくるのです。

ジョギングなんて面倒だ、と思っても走り出したらなんだかさわやかな気持ちになり最後まで走った。
掃除はイヤだ、と思っていてもあれこれ片付け始めると、結果が見えて結局きれいに掃除した。
そんな経験はありませんか?
それは側坐核が活発になることで、作業興奮が起ったからです。
やる気を待っていては何も起りません。
やる気は自分の行動で起こすのです。

英語を要領良く勉強したい

誰でも要領よく英語を勉強したいと思っています。無駄な時間を使いたくない。 クラブ、英語以外の勉強、その他の習い事、自分の趣味、友達と過ごす時間など、いろいろ忙しいのですから、 英語の勉強だけで手間取りたくない、ということですね。

ところが、なんだか矛盾するようですが、要領よくやろうとすればするほど、実力は付きません。 なぜかというと、要領よくする、ということは時間をかけないということにもなるので 、 自然と勉強の時間は短くなります。何事も時間をかけなければなかなか本物の力は付かないものです。

英語も例外ではありません。
「ゆとり教育」で学生の学力は落ちました。 理由は簡単です。絶対的な勉強時間が少なくなり、学ぶ内容が薄くなったからです。
「ゆとり教育」を緩和したら、学力に回復が見られました。 これも単純なことです。 勉強時間が増えたからです。

ゆとり教育で学力を落とさなかった学生もいます。 塾や家庭で勉強していたからです。 ですから、単純に「要領よくやりたい」では逆効果になってしまう場合があります。

明らかに無駄なことをしている場合は別として、あまり要領の良さばかりを追い求めることはお勧めしません。 B 君は時間をかけなくても良い点をとり、 自分は B 君より時間をかけているのに点が取れない、ということもあるでしょう。 これは残念ながら、元々備わった能力の差かも知れません。 自分より頭のよい B 君をうらやましがっても、何も得るものはありません。 自分は自分で努力を続けるほうがずっと充実します。 B君の成績の良さは要領良くやっているだけではない可能性があります。 学生時代は、時間をかけて勉強するべきなのです。

要領良くやろうとするだけではうまく行きません。 ゲームやスマホ、SNS に時間を使い過ぎているなら今すぐに改善すべきです。

それでも要領良く英語の勉強をしなければならない事情がある

しかし実際は、時間のない中で何とか英語を習得しようとします。 社会人なら、学生と違って仕事や家庭での責任がありますから、要領良くやりたいのは当然です。

しかし、大人でも何かをある程度のレベルで手に入れるには、それ相当の時間が必要です。 大人の場合は、基礎を復習しながら、自分の興味、専門に絞って英文を読んだり書いたりすると、 やる気も維持できて、いわゆる要領良く勉強ができます。

しかし、英語の実力のある人は、専門以外のことを英語で処理できます。 全く畑違いで、興味の無いことはできませんが、専門以外の事にも挑戦する気持ちが欲しいですね。

例えば、自分の専門以外に、短編推理小説や、マンガ、ジョーク集を 英語で読むとか、そういう遊び心と余裕があると良いです。 長時間は必要ありません。通勤途中や、レストランで食事を待っている隙間時間で良いのです。 要領良さばかりを追い求めるのは最良の方法でない場合もあります。

ビリギャルってほんとにあるんですか?

テレビやマンガで偏差値を短期間で大幅に上げて、国公立に現役合格した話があります。 確かにそういう例はありますが、全く一般的ではないし、誰にでも当てはまるなどとは思わないほうが良いです。 たまたますごく頭の良い人が何かの理由でサボっていて、やる気になった、ということです。

自分もやればできる、と思うことや、がんばることはとても大事ですし、 やる気にさせてくれるのも事実ですが、マンガやドラマは何でも誇張されていますから、 冷静に見ることも大事です。

ビリギャルのモデルになった K さんは 「自分は勉強ができなかった。 誰にでも可能性はある」、 と言っています。

確かにそうです。
誰にでも可能性はあります。
しかし可能性があるのと、誰にでもできるのとはちがいます。
何かに打ち込める情熱を持てるかどうかがカギでしょう。
情熱があれば、大学入試だけでなく、何でも成功できます。


Mitsuko Takahashi

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